皆さん、こんにちは。
けんほしブログ管理人の「ほしけんいち」です。
「ほし」と呼んでください。
当ブログにお越しいただき、ありがとうございます。
このブログでは
未来の地方公務員の星(☆彡)を目指す皆さんに
公務員の仕事や試験の内容について紹介していきます。
ぜひ、参考にしてください。
自己紹介
生まれてから小・中・高校、大学、就職と、一歩も県外に出て生活することなく今日まで来てしまいました。
ただし、ずっと実家暮らしというわけではありません。
大学時代は、はじめて一人で下宿生活を経験しまして、就職後も実家にはお盆と正月以外には帰らず、今は妻と子供の3人で仲良く(?)暮らしております。
若い時は読書が趣味で、司馬遼太郎氏や東野圭吾氏、森見登美彦氏の小説をよく読んでいましたが、最近ではKindle本で実用書や雑誌を読むことが多くなりました。
また、毎日朝さんぽに出かけながら日常の何気ない風景を写真に収めたり、軽い自重筋トレにも取り組むなど、退職後を見据えた体力づくりに励んでいるところです。
私の公務員生活
私の公務員遍歴や公務員のメリット・デメリットについて紹介します。
30年以上前の就職活動
地元の理系の大学を卒業しまして県庁に入庁しました。
当時はバブルの始まりの時期で、エントリーシートもなく、大学(学部)に届いた企業からの求人案内を見て就職先を決めていました。
しかしながら、私が所属する大学(学部)には企業からほとんど求人が来ないところでしたので、必然と公務員を目指す人が多かったようです。
私も技術職として、国のⅠ種とⅡ種(現在の総合職と一般職)・地元の都道府県・市役所の3つを受けようと思いました。
でも、都道府県と市役所は1次試験日が同じ日でしたので、市役所はあきらめて、国と都道府県の2つに絞りました。
その結果、一次試験(筆記試験)は国(Ⅱ種)と都道府県が受かったので、二次試験の面接を受けることになりました。
国家Ⅱ種の面接で大失敗をやらかす!
最初に国(Ⅱ種)の面接がありました。
本命は都道府県でしたので、何も対策をしないまま面接を受けました。
案の定、面接官の質問にほぼ答えることができなく、最後には「君は、仕事を舐めている!」とお𠮟りを受けたことを覚えています。
今、振り返ってみても、ふざけた学生だったなと反省しています。
それでも、第一志望ではなかったこともあり、帰りの電車の中では
「なんでそこまで言われないといけないのか!」
「受かっても絶対行ってやらないぞ!」
と文句を言いながら一緒に受けた学友と帰ってきました。
結局、国(Ⅱ種)と県の両方とも受かったものですから、迷わずに県に入ることを決めましいた。
皆さんは、面接官からお叱りを受けることのないよう、くれぐれもご注意ください。
入庁後の職歴
スタートは出先機関
県職員の技術職としてのスタートは地方の出先機関からでした。
当時、「新採の赴任地はみんな出先機関で、しかも実家から通えないところ」と聞いていましたので、特に落胆することなく、新しいアパートを探して意気揚々と引っ越しをしました。
初めのころは、先輩職員の後をついて回るのみでしたが、そのうち、2年、3年と経過するごとに、公務員の何たるかを理解するようになり、最後の4年目では、地域の活性化を目指して、自分で企画・立案して仕事をさせてもらうようになりました。
当時は携帯電話もなく、パソコンも事務所に1台しかない状況でしたので、時間もゆっくり流れていたように感じられ、じっくりと一つの仕事に打ち込むことができました。
研究機関で技術職員としての土台づくり
最初の赴任地では4年間、お世話になりまして、次に異動したのは試験研究機関でした。
元々、試験研究業務を希望していましたので、異動が発表になった時はうれしかったです。
ただ、既に大学の研究室時代から丸4年経過していたものですから、研究用務に慣れるまで、かなり時間がかかりました。
それでも、ここで5年間研究職として仕事をすることができましたので、私の技術職員としての土台ができ、とても有意義な研究員生活を送ることができました。
一方では、県を代表する研究機関の一員になったものですから、対外的にも失敗が許されない立場となり、プレッシャーも大きくなりました。
特に、ここでは、1研究員ごとに責任のある研究を任されるものですから、毎日夜遅くまで研究に明け暮れ、土日もない状態が続きましたので、研究が好きでないと、かなりつらい仕事ではないかと思います。
ちょうど結婚後で子供も生まれた時期と重なったものですから、妻への負担は大きく、本当に申し訳なかったなと反省しています。
一転、県庁で夜遅くまで待機生活
30歳を過ぎた頃、異動で初めて県庁に勤務することになりました。
仕事の引継ぎで県庁に行くと、今までの9年間の仕事が全然役に立たないことが分かり、目の前が真っ暗になったことを覚えています。
毎日毎日、決裁文書を書いては、大量の文書を印刷して発送しました。
また、知事の公印をつくために他の部署へ行ったりと、すべてが初めての仕事で、毎日、時間に追われるように仕事をこなしていました。
中でも、予算と議会は特別で、議会が開かれる時期や年末の予算編成の時期は、毎日、夜遅くまで待機がかかり、終電に間に合わずにタクシー(自費です)で家に帰ったこともありました。
最近は、働き方改革が叫ばれていますので、終電までには帰ることができるようになっています。
その後、県庁と出先機関で10年以上もの間、行政事務を経験しました。
なので、技術職ではありながら、一般の行政職の人と一緒に仕事をする機会に恵まれました。
おかげで、様々な職場に知り合いができたので、困ったことがあっても相談できる人や仕事の融通が利く場面も多く、大変助かりました。
色々な研究機関を渡り歩くジプシー生活
40代の後半以降は、再び研究機関へと舞い戻りましたが、異動するたびに、新しい研究機関を渡り歩くという、異色の経歴を持つ技術職員になりました。
まあ、研究職というよりも企画や管理部門に配属されましたので、研究機関をまたがる新たな研究課題の立案や若手研究員の育成といった、縁の下の力持ち的な仕事に奔走するようになりました。
ここでは、県の研究機関だけでなく、大学や国の研究機関とのパイプ役も担うようになり、行政機関とは違った新鮮味を感じながら仕事をしています。
また、最近は、定年退職となる研究員が多く、若手研究員の育成が急務となっていますので、他の研究機関と連携して研修会や交流会を新たに企画しているところです。
研究の第一線からは離れましたが、古巣の研究機関で楽しく部下の育成に励んでいます。
県職員となって良かったこと(県職員のメリット)
私見にはなりますが、私が県職員になって良かったこと(メリット)について紹介いたします。
- 人(県民)のためになる仕事ができる
- 不景気でも給与が安定しておりボーナスももらえる
- よほどの不祥事を起こさない限りクビにならない
- 異動があっても(一部を除き)県内に限られる
元々、「人のためになる仕事がしたい」と思っていました。
国や県独自の補助金を使って地域の活性化に役立つ仕事ができることは、モチベーションの維持にもつながっていると思います。
また、不景気になっても大幅な給与・ボーナスのダウンがないこともメリットではないでしょうか。
県職員となって悪かったこと(県職員のデメリット)
逆に、県職員になって悪かったこと(デメリット)について、技術職ならではの見解も含めて紹介します。
- 羽目を外すことができない
- 景気がいい時でも給料が上がらない
- 仕事で成果を出しても昇級とは関係がない
- 偉大な発明をしても、報酬がわずかしかない
「仕事ができること」と「出世すること」は別ものです。
私の場合、常に信念をもって仕事に取り組んできましたので、上司と衝突することもありました。
当然、査定に響くものですから、長い目で見ると、出世コースから外れていくことになります。
それでも、比較的いい上司に恵まれていたこともあって、あまり理不尽な異動を受けることなく今日に至っております。
県職員を目指す皆さんへのアドバイス
元公務員の人や現役の公務員の人が運営するブログを拝見させてもらいますと
- 給料が安い
- パワハラやいじめが横行
- やりがいがない
などの不満が挙げられていました。
確かに、大企業に比べれば給料は安いですし、中にはパワハラ・セクハラをする上司もいます。
でも、それって公務員に限ったことでしょうか?
民間企業に勤められた人でも、同じような不満を持って転職されるケースもありますので、公務員に限ったことではないと思っています。
また、元公務員の人のブログを拝見させていただきますと、20~30年勤務された方ではなく、2、3年から、長くても10年程度勤められて退職された方が多いように思います。
結局は
公務員だろうが会社員だろうが、その会社(官公庁)が合う人は合うし、合わない人は合わないだけではないかと思います。
中には、より高収入を目指して起業される人もいらっしゃいますが、公務員でしか味あうことができない仕事も多く、やりがいのある仕事も結構多いのではないかと思います。
異動希望を出しても叶わないこともありますが、給料以上の充実感を味わうことができる職場だと思いますよ。
このブログでは、公務員を目指している皆さんに、30年以上県職員をやってきた私から「公務員ってまんざらでもないなあ」と思ってもらえるような、有益な情報を提供していきたいと思います。